ブラック/クロスロード

魔王「今日も平和だ飯がうまい」の小説版。グロ注意。

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王の章・32

王の章・32
かくして少女は魔物に攫われた。
気付いた時には三つ目の魔物の小脇に抱えられ、ひどく薄暗く広い廊下にいた。
ひっ、と息を呑む少女に気付き、魔物は立ち止まる。そしてにやりと笑いかけた。
その笑みはひどく楽しげで、その目はまるで家畜でも見るかのように何の憐れみも宿してはいなかった。
返り血を浴びたまま、魔物はべたりと汚れていた。その血をまるで気にかけることなく、魔物は少女を抱えたままで再び歩きだす。
そうして軽い調子で少女に語りかけた。

『お目覚めのところ丁度いいや。お前にゃ人質になってもらうからな』
『ひ、とじ……ち』
『そうそう。大役だろ?』
『……』

ひとじち。人質。
少女はその言葉が何を意味するものなのか、いまいち理解ができずにいた。
しかし魔物に問う勇気もなく、まして良い言葉のはずがないのだと悟っていて、ただただ震えるだけだった。
道すがらすれ違うのは恐ろしげな姿をした魔物ばかりだった。
少女は自分がどこに攫われたのだか、絶望と共に知った。

『っ……う……』

少女をどこかの部屋に放り込んだ魔物は、外に出るなとだけ告げてどこかに立ち去って行った。
一人きりになったその瞬間、堪えていた涙が止めどなく溢れ出した。
買われた城で与えられた部屋よりもそこは広く、調度品なども目一杯に多く飾られていた。
窓の外には星一つない闇が広がっていて、どこにも逃げ場がないと思えた。
だが泣き崩れているだけではいけない。どこかに隠れないと。
ただそうした本能に突き動かされて、少女はクローゼットの中に潜り込んだ。
中には何枚ものシーツが積み上げられていた。
そのうちの一枚を頭からすっぽりと被り、戸を閉めた暗闇の中、少女はすすり泣き震えていた
どのくらいそうしていただろうか。
きぃ……。
扉が開かれるその音に、少女はビクリと身を竦めた。
部屋に何者かが訪れた。
あの、三つ目の魔物だろうか。
少女はシーツの下から外の様子を窺おうとした。その時だった。
突然戸が開かれて、光が差し込んだ。
眩しさに目を細めその明るさに慣れた時、少女の目に飛び込んできたのは、世にも恐ろしい黒の魔物だった。

『……何をしているんだ』
『ひ』

それは恐ろしい化け物だった。
長く鋭い黒い爪、青黒い皮膚、枯れた大木のような腕、覗く牙、真っ黒いばかりの瞳。
少女の知るどんな大人よりも一回り、二回りも巨大な体。地の底から響くような声。
その全ては死、そのものを予感させた。
どんな絵本にも、どんな悪夢にも、どんな空想の中にさえ、こんな恐怖の塊を少女は知らなかった。
こんなに魂が摩耗されるような、芯を抉られるような純粋な恐怖があるのだと、少女は知った。

嬲られる、殺される、もっと恐ろしいことをされる。
そう確信して少女は黒の魔物のことを見上げていた。
しかし黒の魔物はいつまで経っても、少女にその鋭い爪を突き立てるようなことはしなかった。
それどころか、黒の魔物はとても不思議そうにその目を細めるのだった。
何か眩いものでも見たかのように、黒の魔物は動かない。
少女は恐る恐る、黒の魔物に名前を尋ねた。
すると魔物はベルゼメトロームと名乗った。
自身のことを、魔王と呼んだ。
少女は息を呑んだ。
少女はその存在のことを知っていた。
教会で暮らしていた頃、修道女たちが口を揃えてその名を語っていた。
神に背きしもの。魔物を統べる王。残虐無比の、人の宿敵。
この世で最も恐ろしい生き物。それが魔王だと聞かされていた。
少女が恐怖に竦んでいるのが分かったのか、魔王は口の端を歪め、笑みらしきものを形作る。
それが何とも邪悪で、無慈悲なもので、少女はますます溢れ出る涙を止められなかった。
殺して。
そう言いそうになった寸前、魔王がその大きな口を開き。

『お前、腹は減っていないか?』

そう言った。少女はぱちくりと目を丸くし、その言葉の意味を考える。
頭がすっかり麻痺してしまい、魔王が言い放つには、どうにも似つかわしくないような言葉だとしか分からなかった。

(え……あ……おなか……?)

意識すると同時、腹の虫が鳴いた。
少女は身を縮めて目を瞑る。
食べ物を催促するなどご法度だったし、腹が鳴れば行儀が悪いと蹴り飛ばされた。
こんな大きな化け物に殴られれば、きっとそれだけで死んでしまうだろう。
一度は望んだはずの死が、途端に恐ろしくなった。
痛いのは嫌で、痛くて死ぬのはもっと嫌だと少女は思った。
しかし魔王は『そうか』と相槌を打っただけで、少女に手を上げようとはしなかった。
それどころか色々と気遣うような言葉を投げかけて、そっとその枯れた大樹のような腕を少女に向かって伸ばすのだった。
固まる少女。それを魔王は難なく捕まえて寝台まで運び、最新の注意を払って降ろすのだ。
それは全く痛みを伴わない荷捌きだった。
硬くて冷たい、とても生き物とは思えない手の平だった。
わけも分からず見上げる少女。魔王はそっとその頭に触れた。
握り潰される。
そう思った矢先にその手は少女の頭から離れ、黒の魔物も何事かを呟いて、そうして部屋から出て行った。

少女はわけが分からなかった。
どうしてあの魔王は自分に痛みを与えないのか。怒鳴らないのか。
何よりどうして、蔑んだ目をしないのか。真っ直ぐに自分を見つめるのか。
その不可思議が、ただただ恐ろしいばかりだった。
少女はそれから少し泣いて、崩れるように眠りについた。


次の日の朝、少女は何者かに揺り起こされた。
はっと目覚めると幾人かのメイドたちが朝食の用意を行っているところだった。
城ではこんな時、すぐに起き出して身支度を整えなければならない。
しかし少女は動けなかった。
人間のような形をしたメイドたちは、それぞれ長い耳や角、血で塗り潰されたかのような赤い瞳など、一見して魔物とわかる特徴を備えていたのだ。
寝台の隅に逃げて震えていると、赤い目をしたメイドの一人がお構い無しでこう言った。

『お食事をご用意いたしました、姫様』

そうしてぺこりと頭を下げて、彼女たちは何事もなかったかのように部屋を出て行った。
少女は困り果てるしかなかった。
寝台から見える、テーブルに並べられた食事は、いかにも食欲を誘う色彩で豊かな湯気が立ち上っている。
ふっくらと焼けたパンは香ばしい匂いを放ってた。
また少女の腹の虫が鳴いた。
そういえば昨日から何も口にしていない。水すら飲んでいないと気付いた。
ごくり、と喉を鳴らす少女。
しかし少女はその場から動けなかった。

食事を出されて、下手に手を付けることはできない。
それに魔王は『食事を用意する』と言っていた。メイドは『用意した』と言っていた。
誰も少女に食事を取る許可を与えていない。
染み付けられた生きるための知恵が、少女が動くことを頑なに許さなかった。
ひもじくて、恐ろしくて、死にたいけれども死にたくなくて。
少女は泣き続けるばかりだった。

やがて魔王がやってきた。
それでも少女はすすり泣くことを止められなかった。
明るい日中であってもその姿は真っ黒で闇のように恐ろしく、少女の心臓を鷲掴みにした。

(きっと、あさごはんにたべちゃうんだ……!)

しかし魔王は少女のことを素通りし、テーブルの上に並ぶ朝食に視線を落とす。
少女はそこで少しだけホッとした。自分を食べる代わりにそれを朝食に決めたのだと、そう思ったその時だった。

『お前!   全く食っていないではないか!』

突如起こった大音声が、少女の鼓膜をこれでもかと震わせた。
頭がぐらぐらと揺れるほどの大声だった。目の前がちかちかと点滅した。
はっ、と気付いた時には、少女のことを魔王が睨みつけていた。
夜の闇よりも深く、暗い鋭い瞳でもってして、少女のことを射抜いていた。
怖い。
恐い。
殺されてしまう。
少女は何も考えられなくなった。
ただもう全てが恐ろしくて、泣き喚くことしかできなくなった。
きっと煩いと怒鳴られる。きっと殴られて食べられて殺されてしまう。
それが分かっていながらも、少女は泣くばかりだった。
自分の泣き声しか聞こえず、涙で何も見えなかった。
魔王が自分の命を刈り取るのを、今か今かと待っていた。

ただそのうちに、何かが触れる感触があった。何かが語りかける気配がした。
それはどこか不安げで、無理やりに優しげでだった。
目を開くと、そこには案の定魔王がいた。
しかし、それがとても億劫そうな顔をして少女の頭や頬を不器用に撫でている。
その光景がとても信じることができず、少女は口をぽかんと開き、泣くという唯一の手段すら放棄せざるをえなかった。
それから魔王と少しだけ話をした。
食事が気に入らないのかと聞かれ、少女は小さく首を振った。
食べていいと言われなかったから食べなかった、としどろもどろに少女が答えたその瞬間、魔王は疲れ果てたように肩を落とした。
どうするべきかと困っていると、魔王は少女をその手でそっと掴み。

『いいか、少し待っていろ。新しいものを持って来させる。食え』

投げやりにそう言ったので、少女はさらに困り、頷いた。



食事が再び用意されるその間も、魔王は少女のことを食べようとはしなかった。齧ろうともしなかった。何も、しなかった。
爪を見せつけて脅すことはあっても傷つけるようなことはしなかったし、頭や腕を摘まんでみせても、殴ったり、抓ったりはしなかった。
たまに声を張り上げることもあったが、決まってそのあとバツの悪そうな顔をしてベソをかく少女を宥めようとした。
少女は魔王のことがわからなくなった。

やがて食事の用意が整った。
メイドたちが出ていくと魔王は少女を摘み上げ、テーブルの前の椅子の一つに置いた。
テーブル一面に並べられた料理の数々。
先ほど心惹かれたパンや水ばかりでなく、真っ白なケーキや果物といったおまけまで増えている。
ごくり、と喉を鳴らしてそれらをじっと見つめる少女。

『ほら食え』

魔王はその隣でつまみ食いを楽しんでいた。
首をギリギリまで曲げてようやく見えるほど高くにあるその顔は、何故か楽しげに笑っていた。
ようやく食べる許可をもらえた。
しかし、やはり、少女は動けない。

少女は左利きだった。エリザベスは右利きだった。
左の手で字を書き、食事を取ることは許されることではなかった。
しかし右の手ではまだ上手くナイフを操ることができなかったし、それらの食器を使う順番もまた覚えきれてはいなかった。
どうしよう、どうしよう。
魔王と料理を交互に見やり、魔王の顔が険しくなるにつれ、次第に少女の目には涙が浮かび始める。
少女は下を向いてじっと耐えることしかできなかった。
するとその隣から、すっとスプーンが差し出された。
見れば湯気を立てる琥珀色の液体がそこに満ちている。
持っているのは魔王だった。
ほら、と魔王が静かに言った。少女はおずおずと口を開いた。
温かい味が口いっぱいに広がった。
それから魔王は少女に食事を与えた。
黒い腕と黒い爪が間近に迫る恐怖もあったが、結局少女は空腹に負けて餌付けを受けた。
魔王は何度か自分で食べるようにと言い聞かせたが、少女がてこでも動かないと悟ったらしく諦めたような面持ちでせっせと食事を与え続けた。
魔王は最後にケーキを取ってくれた。
その時少女は思わず左手でフォークを握り食べ始めてしまった。
しかし魔王は何も言わず、ただ『美味いか』とかだけ聞いた。
少女がこくりと頷くと、魔王はぞんざいな相槌を打つのだった。
その後で意地悪なことをされた気もするが、結局またケーキをくれたので、魔王との初めての食事は少しだけ幸せなものとして少女の心に刻まれるとなる。
魔王は確かに恐ろしかった。
あの城にいる頃も、恐怖は常に付きまとった。
しかし皮肉にも少女は魔王という恐怖の塊が傍にあるこの場所で、久しぶりに、生きている実感を得たのだった。
少女はなにも分からなかった。自分の価値も、なすべきことも、運命も。
そんな中、少女はとある出会いを経験する。
それは少女が生きる意味を決定付ける、ほんの少しのきっかけとなった。



『さあ姫様、お召し物をお脱ぎくださいね』
『……う』

食事を終えてから魔王はメイドを呼びつけ、少女を預けた。
今朝見た赤目のメイドだった。
ニコニコと微笑みを崩さない彼女の立ち居振る舞いは上品で、少女はそうした品のいいモノにいい思い出が極めて少ない。
ビクビクしながらメイドに連れられ、広い脱衣所に入れられた。奥には大きな浴場があるらしい。
確かに着ているものは世話係の血を浴びて黒い染みができていたし、一日中泣いていたものだから、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
着替えることができたなら、きっと気分が晴れるだろう。
しかし少女は怯えるばかりだった。
少女にとって湯浴みは楽しいものではなくて、恐いものだ。
城では優しい顔をしたメイドでさえ、少女のことを湯に沈め、熱湯を浴びせて笑い転げることが多かった。

人間でさえあれなのだ。
ならば、魔物のメイドはもっと恐ろしいことをするに違いない。
そう思って固く俯いていた。
動こうとしない少女の顔を覗き込み、メイドは困ったように苦笑して。

『えーっと姫様……ごめんなさーい』
『う、わ、わわ』

強硬手段に出るのだった。
メイドは少女の襤褸と化したドレスを鮮やかに剥ぎ取った。
別に取り押さえて無理やり、というわけでもなかったのだが、その手際の良さと有無を言わせぬ笑顔がほんの少しだけ怖かった。
その後で本物の恐怖が訪れた。

『な……っ』

メイドが息を呑んだ。
見れば彼女は血のように赤い瞳を精一杯に見開いて、少女のことを凝視していた。
少女は目をぎゅっと閉じ、耐えるしかできなかった。

『え、えっと……これは……酷いですね……』

しかしメイドはオロオロとするだけだった。
手を上げるでも、罵るでもない。
知らない反応に少女は首を傾げる。
やがてメイドは決意を込めた顔で一つ神妙に頷いた。

『仕方ありません……姫様。少しの間お待ちくださいませ』

そうしてメイドは少女を大きなタオルでくるんで微笑んで。

『ズィーベンを呼びつけましょう』

不本意なことですが……、とため息をつくのだった。


そうして『外に出てはいけませんよ』と釘を刺してメイドはどこかに行ってしまった。
少女は広い脱衣所に一人で取り残された。
メイドがくれたふかふかのタオルは暖かく、それだけで微睡みの淵に立つことができた。
こくりこくりと船を漕いで、とても静かな時間だった。
ふと、少女は視界の隅に何かを捉えた。
ふらふらと引き寄せられるようにして近付いてみる。
それは大きな姿見だった。
タオルで身を包んだ、みすぼらしい少女が映っている。
泣き腫らした目は赤く腫れ、金の髪もぼさぼさに飛んでいた。
少女は意を決し、もらったタオルを落としてしまう。
鏡の中の少女が悲しげに顔を歪めた。
少女の体には相変わらず、無数の傷跡と痣が刻まれている。
とても醜い体だと思った。
あのメイドも、きっと気持ち悪いと思ったのだろう。
だからいなくなってしまったに違いない。
魔物にすら気味悪がられている体が、とても悲しくて涙が浮かんだ。
ぼやける視界。震える体。姿見は相変わらず、醜い自分しか。

『よーッス』
『……!?』

突然のことだった。
姿見に黒い何かが現れて、少女の肩に手を置いた。
ひんやりと冷たい手の平だった。少女は恐ろしさに振り返る。
いつの間にか、そこには知らない魔物がニィッと笑って立っていた。

死体のような魔物だった。
黒のローブで体のほとんどを隠しているが、見える部分だけでも右目は潰れ、鼻には大きな切り傷、耳も両方千切れかけている。
酸化した血のように紅黒い髪とは対象的に、その肌は青白く、様々な傷で埋め尽くされていた。
その数は少女とは比べ物にならないほど多く、また全てが全て深い、痛ましいものだった。
少女は口をぽかんと開けて、その魔物のことを見上げていた。
魔物の背後に、先ほどの赤目のメイドが苦笑を浮かべているのが見えた。
言葉をなくした少女を興味深げに見下ろし、魔物はグッグッ、とくぐもった笑い声を上げる。

『へーエ。こレが攫ッたっツー餓鬼か』
『これ、あまり虐めるんじゃありませんよ。貴方を呼んだのは』
『分かッテル分かっテル』

そう言いつつも魔物はひょいと身をかがめ、少女と視線を合わせるのだ。
潰れていない方の目は酷く血走っていて、死んだ魚を思わせた。
カビの臭いが鼻をついた。
少女はその魔物から目を逸らすことができなかった。

『どウダ餓鬼ヨ、俺ガ怖いダろウ?』

そうして魔物は自信たっぷりに尋ねるのだ。
怖いかどうかと聞かれれば、少女に怖くないものなど一つたりともあえりない。
しかし少女はもっとそれ以外に、魔物に言うべきことがあった。
まっすぐに魔物を見つめ、泣きそうな顔で少女は言う。

『……ない?』
『アぁ?』

怪訝に眉を寄せる魔物。
その反応が怖かった。だが、聞かずにはいられなかった。

『け、けが、だいじょ、ぶ……?   い、い……たく……ない?』

絞り出した問いかけに、答えが帰ってくることはなかった。
見れば魔物は目を丸くしていて、背後のメイドも似たようなものだった。
何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
怯える少女をじっと見つめ、しばらくして魔物がぽつりと口を開く。

『おいヴァネッサ……』
『はい?』

メイドはヴァネッサというのか。
そんなことを少女がぼんやりと覚えたその時だった。

『こノ餓鬼オレにくレ!!』
『!』

魔物にがばりと抱きしめられた。
何の間違いか、それとも何かの拷問か何かか。
そうビクビクしながら目を閉じ耐えていたが、何も起こる気配がない。
それどころか魔物は少女を抱き上げて、よしよしと撫でてくれる始末である。
魔物の手は凍えるほどに冷たかった。
しかし少女を包み込む魔物の体はほんのりと温かかった。
それは少女が忘れかけていたぬくもりだった。
魔物も人と変わらず温かいのだと、少女はその時知った。
おずおずとそのローブを掴んでみる。すると魔物は歓喜の声を上げて少女のことを更に強く抱きしめた。
怖さも何もかも吹き飛んでしまった。
少女は目を白黒させながらも魔物の胸に顔を埋めるのだった。
『面倒はシッカり見ルかラ』と悶えつつ訴える魔物。
それをこにこと見つめてメイドは言う。

『いけません』
『えー何デダよ。こンナに俺ニ懐いテんだゾ。ホラ見ろシガみついテンのガ見エネェのカ?』
『しがみついているのは貴方の方ではありませんこと?』

魔物の叫び声にも似た主張を、メイドは淡々とした笑顔で殺していった。
何となくほのぼの平和である。少女は抱きしめる魔物の顔を見上げて言う。

『い、いたくないの……?』
『オぅ全然痛クネーよ。こレ全部古傷だカンな。しッカシお前人間ノくセニいい奴じャネえカ。気に入っタぞー』

ぐりぐりと無遠慮に少女の頭を撫で回す魔物。
褒められているのだと理解ができて、どうしてだろうと不思議に思った。
それでも見上げる魔物が嬉しそうにしていたので、何とはなしに温かかった。

『こらこら、いい加減になさい』

そんなやり取りをしていると、横から伸びた手が少女の体を取り上げた。
ヴァネッサ、と呼ばれたメイドであった。
彼女は少女をまた新しいタオルでくるんでくれて、あやすように抱き揺するのだった。

『すみませんねえ姫様。この死体紛いは他者からの好意を過剰に受け取ってすぐ懐くんです。まあ、野良犬と違って噛み付いたりはしませんから、どうか広いお心で許してやって下さいまし』
『なンダそノ言イ草……なァ餓鬼、コのアマ綺麗ナ顔してエグいト思ワネぇ?』
『あ、あう……ぅ』

口々に言われても。
少女は困って唸るだけだった。

『そうです。それよりも』

ゆるまった空気を吹き飛ばすべく、ヴァネッサがぴしゃりと言う。

『どうです?   できそうですか?』
『マあ……でキルッちャできルがよォ』
『そうですか』

良かったですねえ姫様、とヴァネッサは少女に温かな微笑みを向けてくれる。
真っ赤な瞳を細めて、彼女はとても嬉しそうだ。
わけも分からず首を傾げる少女。ヴァネッサはころころと笑うのだった。

『この死体もどきが、姫様の怪我を治してくれるそうですよ』
『え……』
『治スのは可能だシ構ワネぇ。だガよ』

言葉に詰まる少女を、魔物が真剣な顔で覗き込んだ。

『オイ餓鬼。こレハどこデやラれた傷ナンだ?  刃物傷カら火傷カラ鞭の跡マで……どウ考えテモオかシいだロ、お前どドッかの姫サマなンダろ?   ソレが何でこンナ目に合っテンだよ』

魔物の瞳に浮かぶのは、深くて鋭い懐疑の色だった。
少女はそれに答える言葉を持たなかった。傷を負ったのは自分が偽物だから。
だが、その事実を口にすることがどんなに恐ろしい事態を招くのか、無知な少女にもなんとなくわかっていた。
口を噤んだまま顔を伏せる少女。
それを庇うように抱きしめて、メイドは魔物に微笑むのだ。

『姫様を苛めるのはおやめなさい。この方は魔王様のお気に入りなのですよ』
『ハァ!?』

大仰にのけ反る魔物だった。
濁った目を白黒させながら、少女をまじまじと注視する。

『え……オ前魔王様のオ気に入リなの……?   マジで?』
『ええ。魔王様が喜んで飼育係をされておいでです。あんなに楽しそうな魔王様、久しぶりに拝見致しましたわ』
『マジかー……ジャあオレが貰ウわけニャいカねえな』

微笑ましげに語るヴァネッサとは対象的に、ぶつぶつと呟く魔物は心底残念そうに肩を落としていた。

(……たのしそう……だったかなあ……)

そう言われてみれば、少女を爪で脅したりする時などに、あの魔王は世にも恐ろしい笑みを浮かべていた気がする。
しかしそれ以外はずっと眉間に皺を刻んだ仏頂面で、やる気なさげに目を細めていた。
少女の知る楽しい、とは一線を画する表情だった。そう思った。


それから一旦は諦めた魔物に、怪我の具合を診てもらった。
椅子にちょこんと腰掛けて、隣にはヴァネッサが心配そうな目をして立っている。
大半が塞がってしまった古傷とはいえ、何箇所はできて日の浅い傷だった。
それをああでもない、こうでもない、と一通り見てから、魔物はメイドを振り返る。

『ま、明日まデニ効きソうな薬ヲ作ッておくヨ』
『よろしくお願いしますね。貴方を呼んできて正解でした。人間の体の仕組みなんて、貴方以外に知っていそうな方がいませんし』
『ウーん……オレ、ほトんど死体専門ナンだケどなー』
『し……したい……』

さらりと恐ろしげなことを言ってのける魔物だった。
訝しげな目をする少女に気付いてか、魔物は少女の頭をくしゃりと撫でた。

『しカシお前……オレの心配スる前ニ自分の心配シロよナ。平気か?』
『だ……だいじょぶ』
『そッカそっか。お前、ちッコイのニ強イんダナぁ』

心底感心した、といいたげに、魔物は潰れていない目を細めて笑う。
少女の心がちくりと痛む。
少女はそんな笑顔を見ることも、自分で作ることも忘れていた。
そしてその笑顔はきっと、本来自分に向けられるはずのないものだった。
その優しさも全て、亡きエリザベスに奪われる。
偽物のエリシアには何も施されることがない。
それが辛くて悔しくて、それでも少女は必死に、魔物を真似て笑顔を返すのだった。

『オレの名前はズィーベンってンだ。ヨろシクナ』
『ズィーベン……』
『ああ。で、お前の名前は?』
『……』

エリザベス、とは言いたくなかった。
かと言って、エリシアと名乗ることもできなかった。
黙って俯く少女。それを見下ろして、ヴァネッサとズィーベンがそっと目配せをし合った。
確信を得たような、秘密を共有するような。
そんなニュアンスのやり取りを、ついぞ少女が気付くことはなかった。
軽い調子でズィーベンが少女を抱き上げて、その沈黙を有耶無耶のものにしてしまう。

『マ、言いタくネエナらそレでもいイサ。とこロでよお』
『な、に?』
『魔王様のコト、怖イか?』

にぃっ、と笑うズィーベンだった。
少女は思わず一瞬だけ固まって、それから勢いよく首を縦に振るのである。
するとズィーベンはグッグッ、と笑い転げるのだった。
見ればヴァネッサも柔らかい微笑みを浮かべている。
何が面白いのだか、少女には何もかもわからない。

『ソウだヨな!  そウだよ!  お前ハ見る目ガアる!』

そんじゃまた明日な、とズィーベンは上機嫌で脱衣所を出ていった。
手を降り見送って、少女は『また……あした』と約束を繰り返した。



『姫様』

至って普通に体を洗ってもらって、ほどよい湯に浸からせてもくれた。
その帰りの道中だった。
極端に灯りの少ない薄暗い廊下を歩きながら、ヴァネッサが抱いたまの少女に語りかける。
少女は寝ぼけまなこを擦って耳を傾ける。

『貴女は魔王様の楽しみに、玩具に、愛玩動物になりうるお方です。だから私は貴女を護りましょう。魔王様の喜びこそが、私の喜びですから』

見上げた先の彼女は、とても幸せそうに笑っていた。

『いいですか、ズィーベンに会ったこと、そして怪我のことなどは魔王様に秘密です。わかりましたね』
『う、うん……』
『ありがとうございます、姫様』

少女にはその笑みの理由が分からなかった。
分からないことだらけの少女は、大人しく頷くことしかできなかった。

(まおう……さんか)

こんなに温かくて優しい魔物たちに好かれる魔王。
それは一体どんなものなのだろう。恐ろしいだけのものなのか、それとも。
ヴァネッサの手から直々に魔王の手に渡ってからも、少女の頭の中はその疑問でいっぱいだった。

『……汚れは落ちたか』
『う、ん』
『ならばいい』

ぶっきらぼうな物言い。
しかし少女を抱きかかえたままで、魔王は廊下に歩み出す。
魔王は少女のことを降ろすことも、乱暴に扱うこともなく、猫でも抱くようにふんわりとその腕に収めていた。
その腕や体はやはり硬くて冷たいもので、とても生き物のような気がしなかった。
眉間の皺は健在で、見るからに不機嫌そうだった。
それでも、少女はなんとなく、温かみのようなものを感じ取っていた。
少女の中で、恐怖は消えそうにもなかった。
だがそれ以上に、もっと別のものが生まれ始めていた。
元の部屋にたどり着き、その寝台に降ろされた。
それから首元まで毛布をかけられて。

『あ、あの』
『ん』

少女は勇気を振り絞った。

『お、やす……み、なさい』
『……ああ』

お休み、と魔王は凄惨な笑みを浮かべて少女に言った。



その夜、少女は恐ろしい夢を見た。
何かに追いかけられて、何か辛いことをされて、ずっと泣いていた。
そうして最後はとても、この世で最も恐ろしいモノに捕まった。
そんな悪夢だった。
目覚めた時に、少女はその夢の内容をほとんど忘れてしまっていた。
ただひどい悪夢を見たことだけは覚えていた。

『まおうさん……か』

少女の心には細い虹がかかっていた。
それは希望というには少しばかり、色味の暗いものだった。

テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

>>通りすがりさん
嬉しいお言葉ありがとうございます!
エリシア好きなのこんなんばっかだな!!とか言いませんからこれからもよしなに!!(*´∀`*)

  • 2012/10/08(月) 20:53:58 |
  • URL |
  • おつかい #-
  • [ 編集 ]

楽しく拝見させて頂きました

エリシアちゃん可愛いですね!
あと、エリシアちゃんに踏まれたい切り刻まれたい捻り潰されたい刺されたいです!

  • 2012/10/06(土) 21:03:00 |
  • URL |
  • 通りすがり #-
  • [ 編集 ]

>3さん
賢者タイム入りましたーあ!
ほのぼの殺伐を目指します!

  • 2012/08/31(金) 19:40:35 |
  • URL |
  • おつかい #-
  • [ 編集 ]

ふう(*´Д`*)
ほっこりしたわああああああああ

  • 2012/08/24(金) 13:38:22 |
  • URL |
  • ななし3 #-
  • [ 編集 ]

>Bさん
いやー回想は書くこと決まってるのでさくさく書けるんですよね(*´∀`*)
出番ないのでこんなところでまともに書いてあります魔王!

>黒創さん
グロ系萌えキャラとして新ジャンルを築いていきたいです!回想はまったり書けて緩急楽しいですww

  • 2012/08/17(金) 23:35:14 |
  • URL |
  • おつかい #-
  • [ 編集 ]

たっぷり癒されましたありがとうございます(*´Д`)
ズィーベンさんマジ萌えキャラ(*´Д`)

  • 2012/08/17(金) 09:45:57 |
  • URL |
  • 黒創 #-
  • [ 編集 ]

更新メール直後→連日更新…だと!?( ;゜Д゜)ナニガアッタ!?

読んだ後→あ~もう、みんなかわええな(*´Д`*)
それにしても魔王が改めてGJすぎるw

  • 2012/08/17(金) 09:04:02 |
  • URL |
  • 名無しB #-
  • [ 編集 ]

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