王の章・36
煉瓦造りの家々が立ち並ぶ、路地の裏。
私はファンゴの導きによりひたすら突き進む。
いつしか雨は勢いをましていた。
しかし今更濡れ鼠になることを厭う道理もない。
互いに言葉を交わすことなく、その短い道中を終えた。
くだんの教会は、路地の突き当たりにひっそりと建っていた。
塀越しに見える大きな礼拝堂。敷地も中々に広い。
立派な門は固く閉ざされ、荘厳な佇まいだが、中はしんと静まり返り廃墟のような空々しさが漂っていた。
ただ、生き物の気配がいくつか。殺気や恐怖を溜め込んだ空気。
そして、確かにファンゴの言っていたとおりだった。
魔除けの結界が教会をぐるりと取り囲んでいるのを、私は見えないなりに肌で感じ取っていた。
「ふむ」
私はひとつ顎を撫でてから、そっと門扉に手を伸ばす。
ファンゴがびくりと身をすくめるも、私の身には何の変化もない。
ぎぃ……、と重々しい音が響いた。
こうして容易く門を押し開き、ファンゴを振り返り言う。
「私にこのような代物が効くと思うのか」
「はあ……」
腑に落ちないような、微妙な仏頂面を返すファンゴだった。
肩を竦める私である。
「では……そうだな、ファンゴよ。私がまず中に入って術者を倒す。それまでここで待っていろ」
「マジで行くんすか?」
「当然だろう」
「……」
またもファンゴは黙り込む。
私のことを認めないのは結構だが、これはこれで反応に困るのだが。
ふむ。巨人族などアイゼンくらいしか知己がいなかったので、奴らは陽気を絵に描いたような生き物だと思い込んでいた。
見識を改めねばなるまいなあ、としみじみ物思いにふけっていたその時だ。
ファンゴが呆れ返ったような溜息をつき、頭をがりがりと掻いた。苛立ちのような、困惑のような。ファンゴ自身もその感情を持て余しているように見えた。
「こう言っちゃなんだが……あの方に似てますね」
「何だ。父上を知っているのか」
「まあ……昔ちょっと」
ファンゴのぼやきに、私は目尻を下げる。
あのご大層な父上のことだ。
畏れられ、疎まれ、賛美と悪評入り混じった父上の像は語る魔物によってちぐはぐだ。
私はその父上に似ているという。果たしてどの部分が、だろうか。
そのどれであったとしても、私はそれを認めてよいものか。
なんとなく、父上が怒り狂う絵しか脳裏に浮かばない。
自嘲的な笑みで見上げていると、ファンゴはかぶりを振る。
「いや、何も言わねえさ。あんたがあの方の継承者を名乗るなら、まずは見せてもらうとしましょうや」
「くっく……」
分かっているとも、と私はファンゴに背を向けて敷地の中に足を踏み入れた。
礼拝堂を見上げる私。
立派な建物だ。
建てられてからあまり時間は経っていないらしく、白塗りの壁はしみやひびが目立たない。
礼拝堂の裏に、三階建ての寄宿舎らしき建物が見える。
そばには井戸や畑といった生活の場があった。
恐らくその更に裏手には墓地があるのだろうと思った。何とはなしに。
さて、どこから攻めようか。
腰の剣に指を這わせ、私は鼻歌を歌う。
そう遠くはない昔、共に歌ったあの歌だ。
魔物に伝わる子守唄。闇を招く眠りの調べ。
その一節を終えるその前だ。
寄宿舎の窓に小さく動くものがあった。
それは私と視線が交わると、怯えたような表情を浮かべてすぐにその姿を消してしまう。
にまり、と私は笑む。
さぞや凄惨らしき顔を浮かべていることだろうと機嫌を良くし、私はひとまず礼拝堂から招かれてやることにする。
楽しみは後である。
思い鉄の扉をそっと押す。
閂の一つや二つかかっているものと思ったが、それはあっさりと私の力に従い、中へと誘った。
そうして礼拝堂に招かれた。
奥には祭壇があり、赤子を抱いた女神の像が厳かに祀られている。
魔法の灯りも、ろうそくの一本もともされておらず中は薄暗かった。
古い花の甘ったるい匂いがした。
身じろぎの気配が複数。
私はふう、と息を吐く。
そうして一歩。
その一歩を礼拝堂の床におろしきるその前に、私は腰の剣を抜き。
キィン——
空虚な礼拝堂に、ひときわ澄んだ鉦(かね)の音が鳴り響く。
私はそれを力任せに薙ぎ払う。
悲鳴を上げ、襲撃者は椅子を巻き込み転がっていった。
しかし私は手を止めない。足を休めない。
左に小さく一歩。同時、ひゅうと空が切り裂かれる。
私が立っていた場所に一筋の矢が突き刺さった。
その矢尻は、私の右斜め上を示している。
私がそちらに手をかざすと。
「きゃああっ!?」
蛙のような無様な呻きが上がった。
手応え。
見れば上方。天井近くの梁の上で、もがき苦しむ人影が見えた。闇色の霧がその首に巻きつき、ギリギリと締め上げている。
……こっそりと胸を撫で下ろす私だ。
こうした繊細な作業にとんと向いていないので、首を飛ばしてしまうことすら考慮に入れていた。
そうしたことはおくびにも出さないで、涼しい顔を保つ。
周囲の気配は他にもあった。
しかし先の二名の顛末を見て、どう手出しすべきか図りあぐねているといった様子だった。
そのため私は心置きなく、捉えた獲物を眼前に引きずり出すことに専念できた。
まだ年若い、傭兵といった出で立ちの女だ。
宙吊りの状態で首を締められ苦しみながらも、私を射殺さんばかりに目を見開き睨んでいる。
この港町には、商人の護衛として傭兵の食い扶持はいくらでもあるらしい。そのうちの一匹であるのだろう。
それはそれとしてどうでもいい。
闇を消し去り、女を床に落とす。
受け身も取れず、痛みにもがきむせる女に私は剣を突きつける。ひたり、と。
「丁重な挨拶、痛みいる」
「あ、んた……」
そう私は素直な謝意を示すのだが、女は変わらず私を睨むだけだった。
肩を竦める私。
周囲の気配がざわめくのを感じた。
おおい、助けに入らなくても良いのか?死ぬぞ?
私はわざとらしく、ゆっくりとあたりを見回す。
祭壇の影や女神像の裏。
そこかしこに気配はあるが、こちらから手出しするのは面倒だった。
顎を撫でてぼんやりと事態の変化を待った。
すると足元の女は幾度もむせながら、しかし途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「見てたわよ……あの、デカい魔物を連れてた奴ね。何者なの……?」
「なに、私は魔王。それだけだ」
「な」
事も無げにそう告げてやると、女は面白いほどに絶句した。
多少得意になる私だ。
何しろ側近から下僕のはずの魔物でさえ、ファンゴのような反応ばかりなのだ。
こうも素直に怖れてもらえると非常に喜ばしい。
突きつける剣をゆらゆらと弄びながら、私はニヤリと笑ってみせる。
「あの噂は本当だったっていうの……魔王が……新たな魔王が魔物を率いているって……」
「まあな」
新た、というほど新しくはないと思うが、仕方あるまい。
私が表舞台に立ったのはこれが始めてのことだ。
とはいえこの空気でそんな訂正をしてやるほど、私は親切でもない。
「さて、この結界を張っているのはどいつだ?この中の誰かか?それとも裏の建物にいるのか?」
「…………」
本題に入るも、女は急に口を閉ざす。
はーあ、と息を吐く。私はそのまま剣を持ちあげる。
「かの者に雷の裁きを!!」
また別の、女の声だった。
私の頭上に光が満ち、瞬間の後に落ち——
「ぬるい」
持ち上げた剣を軽く振るう。
放たれる衝撃波。
それは雷を切り裂き、礼拝堂の屋根を景気良くぶち抜いた。
轟音。
石くれや木切れが雨あられと私に降り注ぐ。
構うものか。声は石像の方から放たれた。
つまり魔法に長けた人間が、標的が、そこに。
「死ね!!化け物!!」
「!?」
足元に転がっていた、死に損ないの女。
鬼のような形相。きらめく短刀。私の首元に一直線。至近距離。
咄嗟に身をよじりかわす。
狙いのそれた切っ先は、勢いを削がれることなく線を描く。
私の頬を切り裂き、耳をかすめ、髪の一房を……!!!!
「っの、不届き者があああ!!」
「ごっ」
女の顔面を剣の束で殴り飛ばした。
おかしな音を立てて壁にぶち当たる女。
ぐったりと横たわるその髪を引っ掴み、持ちあげる。
辛うじて息がある。しかし虫の息だ。
私はそれを止めるわけにはいかなかった。
いくものか。
いかせるものか。
許してなるものか。
この女は何をしたか。
何を。
よくも、私の、よくもよくもよくも!!
「貴様!貴様が、何を!何をしでかしたのか!理解できんだろう!!私の!貴様はよくも人間の分際で私の!!」
自分の口からするすると滑り出る言葉が耳に届くも、その意味が入ることはない。
もしくは単に意味をなさない言葉を叫んでいたのかもしれない。
しかし私は抑えきれない衝動のまま、女の頭を揺さぶり叫ぶ。
喉が潰れんばかりに叫ぶ。
足元に私の髪が落ちている。
ほの暗い礼拝堂の中であって、それは奇妙な存在感を放っていて、浮いていて、そのことが私の脳を余分に痺れさせることとなった。
「楽に死ねるとはゆめゆめ思うな!?聞いているのか貴様!!」
あ、だとか。う、だとか。
女の口からは細切れになった音しか漏れ出ることはない。
だが私はなおも叫ぶ。
血反吐のような憤懣を吐き出さずにはいられなかった。
寛容に受け止めるには度が過ぎた。
それほどまでにこの《疵》は深く抉れていた。
だから、だからである。
私は周囲の空気が変わったことに無頓着でいた。
私は気配の一つが忍び寄ることを気にも留めなかった。
私はその一つが、私に向かって駆け出すのを放置した。
「っ……わああああ!!」
耐えかねたような咆哮。
視界の隅でやはりきらりと光るものが見えた。
近付くそれ。男が一人。
どうでもいい。
私は如何様にしてこの女に罪を償わせるかにしか興味がない。
雑魚一匹。私の危機。手放しで問題あるまい。何故ならば。
突風。
肉を断つ男。
そしていくつかの悲鳴。
叫ぶ私の足元に、男が一つ転がった。
胴体を真一文字に切り裂かれ、おびただしい血を噴き出しながら命の名残の痙攣を続けている。
無様なその末路に、幾分かの鬱憤が癒えた。
まあこんなものだろう。
我が忠臣たちは漏れなく主の危機に敏感だ。結界くらい根気で破ってくるものと踏んでいた。
しかし私はその援軍の姿をようやく目にし、拍子抜けする。
「なんだ……ジンが来ると思っていたが、お前か」
援軍は何の言葉も発しなかった。
それは黒い甲冑である。
男か女かさえも判別がつかない。
全身を隈なく覆う黒金は頭部すら例外ではなく、中身の表情など窺い知れない。
だが私はその中身を知っている。
嫌というほどに知ってしまっていた。
だからこそ、この援軍は打ってつけであると思われた。
気絶しぴくりとも動かない女を床に横たえる。
そして黒の甲冑に向き直る。笑顔を向ける。
「まあ何、褒めて遣わそうぞ」
満面の、愛しい者に向けるものに極めて近くした、混じり気のない純粋な笑み。
悦びを隠そうともせず、私は両手を広げて歓迎する。歓待する。悪意をもって。
「騎士アーサーよ」
魔王に刃を向けし愚人。
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